らいらいか

ごはん、お酒、猫、本好きの三十路サラリーマンのブログです。

自分の意見

自分の意見を持つことが大切だと言われるが、そもそも「自分の意見」というものは存在するんだろうか。友達と話をするとき、もしくは会社の会議で発言をするとき、その他何らかのコミュニケーションをとる時に、自分のものと思って発している言葉の組合せを、他者からの借り物ではないと言い切れるだろうか。他人が対象について語っているのを何らかの媒体で聞いたりして、一定の時間が経ったのちに、(どこかで聞いたことを忘れて、)気付いたら自分の意見のように発言しているだけなのではないだろうか。

 

同じことを発言しても、自分の意見としている人と、そうでない人は分かれると思う。そこにあるのは独自性というよりも、自分の言葉として表現できているかということなんだと思う。(一応これは自分自身の意見だと、僕自身は認識しているが)自分の意見というものは、特定の事象を事実だと認識し、そうした事実を元に、自分の経験から作りあげられた自分のフィルター(主観というのだろうか)を通じて作り上げられたものなんだと考えている。反対に、人から借りた意見というのは、自分で事実を認識する過程と、その事実もしくはその組合せをどのように理解するかという過程を通っていないために、自分の意見にならないのである。

 

ただし、事実というのをどうやって事実とみなすかというと、それはそれで難しい。事実を事実と見抜けるかは一定の知識に寄ると仮定すると、自分の意見を作るには、多くの経験を積む、すなわち行動をすることが重要になるんだろう。

 

そういえば、どこかでウィスキーの魅力はその個性にあると聞いたことがある。手段を問わず表現が人そのものだとすれば、人もウィスキーも似た物どうしなのかもしれない。若くて魅力的なウィスキーがある一方、時間を重ねて洗練されたウィスキーになるのである。